長寿に焦点を与えて発想する 長寿生体科学研究所 1)長寿医療制度について ヒトの生命には男女の性があって、子々孫々へと受け継がれていくものであり、特定の人だけが、取り立てて長寿であればいいというものではないと思われる。まして、世代の交代によって生命力の総合として、ある種の均衡を求められるとするならば、ヒト生命体の寿命はほぼ均一であるか、多少のばらつきで納まる範囲であるべきだと考察できる。 現代の生命維持・関連思想は、医学分野が受け持っているようであり、不妊症や、病人や虚弱児がもつ難題には医学者が専門家として立ち会わされている。生まれる事や死ぬ事がまずは医科学的に捉えられる。闇雲に死なないことが大切であるとして、難病者に対しても「延命」の措置がとられてきた。研究費や医療費の高騰につながってもいる。社会制度としての弱者保護が過剰になれば、健全な生活者が圧迫されることもありうる事を考慮する必要もある。 日本では、新たな高齢者医療制度(75歳以上の後期高齢者等を被保険者とする独立した医療保険制度)が医療制度改革の大きな柱の一つとして始まったが、細部では市民の了解が得られていない。平成20年4月からは、後期高齢者医療制度の通称が「長寿医療制度」と装飾して呼ばれることになった。 わが、長寿生体科学研究所では100歳への途上が苦痛でないこと、喜びに満ちた人生が仕上がること、文明が探し求めた楽土を出現させることを目指して行きたい。闇雲に長寿を望むわけではないし、数字のゲームではない。 動物学の世界では成長期間の5倍が寿命であると考えられている。25歳まで成長するなら、125歳。20歳として100歳が天寿である。世界的に見ても最高長寿者は100歳を全うするようであるが、80歳からは長寿者として評価できると考えている。長寿者が、どれほど健全な人生を送るかが重要であると考えて研究をすすめ、可能な限り広範な情報を整理して行くことが、当研究所の初期計画書である。 長寿医療制度は「患者になってから」の問題なので、医学的なあらゆる困難さを突きつけられてくる。医療に取り込まれることなく長寿を得ることは困難であるのか考える必要がある。一病息災という言葉もあるので、完全な肉体でない患者でも長寿者になれるが、我々は生命の危機から離れながらの安全な暮らしのなかで、長寿に至る道を探さなければならないと考える。(予防的立場) 2)長寿者を目指すとは 老年対策はいつから始めるべきかというのは、重要な課題である。回答は出来るだけ早くから、若い時から、である。かなり昔しに、伝統的粗食をしていた老人が、ある日突然「私は後1ヶ月で死ぬよ」と言いだした。周囲の人はあんなに元気だから「冗談だ」と笑っていた。1ヶ月たっても、老人は自転車で駆け回っていた。そして、夕食の時に「私は今夜死ぬよ」と言ったが家族も相手にしなかった。ところが、朝になってみると老人は安らかな死を迎えていた。老衰というのは長寿者の特権であるが誰もが得られるわけでなく、使命を全うし準備が整った人への褒美なのかもしれない。今夜死ぬだろうという予感のある人は、一人や二人ではなく、事例は数多くあると聞く。命への執着は必要であるが、自然死は人間の理想であろう。 健全な生活を送った証拠が長寿であり、予防医学が完成していたらその内容に沿った生活内容であったはずである。長寿を目指すのは、楽しい生活を作り上げることと一体であると考えて良い。長寿を達成する条件を調査し、データーが示せるもは網羅したい。 1.快適な生活環境 水質、空気、食品、衣料、住居、 2.健康と病気予防 運動、睡眠、休養、栄養、温泉、(各種養生法) 3.精神・心理 人生観、宗教心、コミュニケーション 4.学習 予防医学分野、料理栄養分野、(自然食、整体、理学療法、食養・・・・) 5.治療 統合医療、民間療法 長寿は、現代人にとって完全なる願望にはなっていない。それは、健康普及の講演会で感じる事実である。介護に疲れた人達、入退院を繰り返した人達、ガンなどの病気でご主人を無くした人達、有病者が自分の周囲にあまりにも多いこと。その悲惨な実態に巻き込まれて、一段落してもまた身近な人が同じ悲惨な状況に陥ることが、目に見えるようであることが「長寿はいやだ」と感じさせている。 しかし、長寿を目指すことは病気に倒れないことでもあるのだ。長寿を目指すならば、安易に切り取ればよいという乱暴な手術は回避するだろうと思われる。胃腸の一部が切られること、眼球に傷が付くこと、腎臓が取られることなどがまったく緊急でなく、予防的措置であったら無用な手術といえる。人には無用な臓器が全くないと言われているのに、予防的な発想の切除手術がある事は不思議である。 事故による怪我であればやむを得ない手術があるが、生活習慣病は治療が対症療法だけではだめで、生活習慣を変える為の指摘と努力が欠かせない。長寿を目指した時、より適切な医療が選択でき、生活習慣が変更でき、自然死が目標になるはず。 ・「百歳百人百様」という出版物 最初に登場する寺田医師は、自分の好きに暮らしている方法が健康法だったこと、長寿の遺伝子があると言う事ラッキーな事・・・という。95歳の奥様も一緒に出歩く。毎日診療して2時間は庭仕事をする。平成5年の調査報告では百歳以上での自立生活が出来ている人は21%となっている。インタビューは18人で行ったが、共通した感想は「向上心がある、前向きである、趣味や楽しみがある、家族が温かい、楽天的でストレスが少ない」ようで「ボランティア、医者、農業、画家、芸者、講師、会社役員」の現役がいた。人としてさすがだと言えるような方には長生きが似合っているようである。・・・という。 3)健康増進普及活動ついて 継続可能な長寿運動が必要である。説得力のある裏付けデーターや、根拠の展開が重要である。しかし、過去に発表されている資料をまずは収集していく。現在研究されている事を網羅していく。様々な、経費予算や人材が必要である。そのため、当研究所が必要な事を集約していく。 活動の展開 基礎的健康法の情報集積 1.排便と長寿の関連性を検討する情報収集(食性との関連) 2.睡眠と長寿の関連性を検討する情報収集(運動量、寝具、住居) 3.自然環境と長寿の関連性を検討する情報収集(郷土の自然環境分析・・放射線量、気温、湿度、) 4.物理療法と長寿の関連性を検討する情報収集(体操、整体、温泉、生活上の運動量) 5.あらゆる事柄と長寿の関連性を検討する情報収集(栄養調査など) 6.医療施設と長寿の関連性を検討する情報収集(集団検診、無医村、予防的手術) 7.類似研究所の情報収集・交流の検討 |
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100を越えた先を少し覗く・・・・ ◆112歳の男性がボーイ・スカウトに入団した。2008年11月22日19時11分 / 提供:Techinsight Japan イギリス・イースト・サセックス州のボーイ・スカウトに、国内でも最高齢を誇る112歳のヘンリー・アリンガムさんが、車椅子に乗って100歳も違うボーイ・スカウトのメンバーらと嬉しそうに肩を並べた。 ◆ジャンヌ・ルイーズ・カルマン (Jeanne Louise Calment、1875年2月21日〜1997年8月4日)は、フェンシングは85歳から始め、自転車は100歳まで乗った。公式記録史上最も長生きをした。122年と164日間生きたフランス人の女性である。 ◆泉重千代 1865年8月20日〜1986年2月21日 120年185日 男性としての世界最高齢記録保持者。世界一の座を最も長く維持した人物でもある。100歳過ぎても、自分で針の穴に糸を通しており、胃腸がすこぶる丈夫、目も耳も達者。歯はないものの、ごはんも肉もよく食べて、おかゆは嫌っていた。黒糖焼酎で晩酌をしていた。 ◆インドネシアで、伝統音楽を守るため演奏会を続けている女性が話題になっている。 「グンデル」と呼ばれる楽器を演奏する女性は、112歳。 ポップミュージックに押されて衰退していく伝統音楽を「なんとかして守りたい」と毎日、村の通りに出て、演奏活動を続けている。母親からグンデルを習ったのは20歳のときで、90年間ずっと伝統音楽を大切にしてきた。路上での小さな演奏会だが、村の人たちの評判は上々という。(08年9月5日 FNNニュースより引用) |